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プロフィール
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★プロフィール★
ハンドルネーム レフティー
住所 大阪市
生年月日 1974年(昭和49年)生
現在、不動産売買営業の仕事をしています。
不動産仲介業務を中心に仕事をしていますが、以前は競売や投資用不動産、賃貸などの営業もしておりました。 |
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―簡単な経歴紹介―
1993年 高校卒業後コックの世界へ
・イタリア料理の調理師として修業
2002年 営業会社へ転職
・バリバリイケイケの飛び込み営業の仕事を経験基本的なセールスの技術を学ぶ
2004年 不動産業界へ転職
・土地の仕入れ
・投資用ワンルームマンションの販売
・抵当流れ(競売)の代行業
・賃貸の部屋付け営業の仕事、賃貸の仲介業など、職を転々とした時期です。
2006年 大手不動産仲介業へ転職
自宅用不動産売買を中心に不動産売買仲介の仕事をしています。
2009年 知人の小さな不動産会社へ転職
大手の会社員としての属性を利用し、一棟ものマンションをローンで購入。 サラリーマンのお給料より不動産からの家賃が多くなり、
ノルマのきつい大手を退職し、のんびり不動産の修業中です。
―私の生い立ち―
私の生まれ育った環境をお話しますと、生まれは京都府亀岡市です。幼いころの記憶はあまりなく京都の思い出はほとんどありません。
小学校の低学年の頃になると母と父と兄の4人で狭く古く汚いボロアパートながらも一緒に暮らせるようになりました。
ただ、小学校の低学年の頃の記憶は真面目に働きに行く父の姿を見ていますので、この頃には足をあらい普通に働いていました。
今思えばすごく貧乏だったと思います。しかしまだ幼かったこともあり、その生活が普通だと思っていました。
小学校の6年間だけで3度も引っ越しをしています。その理由が借金取りから逃げるためでした。
いつも、借金取りの人が家に尋ねに来ていた記憶があります。
今の取り立てと違い、昔はかなり厳しかったと思いますが、そこは元や○ざとその妻、子供たちです。すごまれても平気な顔をしていました。
親父の方が怖かったので、すごんでくる人がそんなに怖くありませんでした。。。
ただ、貧乏だった理由は収入がなかったり少なかったわけではなく、道楽ものの父のギャンブルと女ぐせの悪さだっと思います。
真面目に働いて当時で40〜50万ぐらいの月収はあったと記憶しています。
いつも泣いている母の姿を見ていました。
しかし、父が元気で働けたのも十数年間だけで、私が高校に入る頃には、糖尿と高血圧、C型肝炎で通院し働けるような体ではなくなり、生活保護を受けていました。
そのため、兄は高校に進学せず中学卒業後すぐに働きにでました。
私は、高校だけでも卒業したかったので、公立高校合格を条件に受験し、合格できましたので高校に通えることになりました。
授業料は低収入者用の減免制度を利用し、授業料などは減免されていたと思います。
交通費や普段のお小遣い、ほしいものは自分でアルバイトをしながら、なんとか高校だけは卒業することができました。
こどもの頃から金銭的な面で親に甘えた記憶はありません。高校入学後はすべて自分で働いたアルバイト代でほしいものは購入していました。
思春期ですので、バイクの免許を取り大型バイクを購入しましたが、毎月きちんとアルバイト代を貯金し購入しました。
この頃から金銭的な基礎や考え方はできていたのかもしれません。お金にルーズな両親を反面教師にしていたのかもしれません。
ただ、同じ環境で育った兄は、今現在も相も変わらずお金にルーズです。両親とそっくりでパチンコなどのギャンブルに夢中です。私は一切ギャンブルはしません。
ギャンブルをする人は投資をするべきではなりません。自分のお金、支出をコントロールできない人が投資を成功できるとは思わないからです。
一般の人とは少し違った環境で私は生れ、育ちました。貧乏な環境、ギャンブル好きな家庭で育ちましたが、私自身はアルバイトを始め、働いてお金が手に入り始めてからもきちんとお金を貯める習慣だけはきちんと持つようにしていました。
どこか小さいながらにも両親をみていたのだと思います。反面教師として。
そんな父も2005年11月に亡くなりました。。。
いつもそばにいるのが当たり前だった父が今はいません。道楽もので、周りに迷惑ばかりかけていて好き勝手な人生を生きた父ですが、そんな父が私は大好きでした。
亡くなる2年前に脳こうそくのため、集中治療室に運ばれ、お医者さんからは「覚悟して下さい」と言われましたが、なんとか命を取り止めました。
しかし、その時の後遺症で左半分が麻痺し言葉もうまくしゃべれなくなりました。入退院を繰り返し最後は苦しむことなく、静かに息をひきとりました。
まだ68歳でした。まだまだ元気な方の多い歳だと思います。
そして、最愛の母も2008年5月に父のあとを追うように亡くなりました。
父が他界してから、ほぼ寝たきり状態になり自宅で介護するようになり、亡くなる一年前から入院し寝たきりになりました。
父を亡くし、急に元気がなくなり、生きる気力を失ったみたいです。徐々に体力を奪われ、特に大きな病気があったわけではありませんが、老衰により最後は静かに息をひきとりました。
65歳でした。
いつか必ず訪れる 「死」 というものを普段は意識することなく、生活をしています。
私自身、いつも側に居るのが当たり前だった父を亡くして初めて、身近に死を感じました。その父のあとを追うようにして亡くなった母。人の死を分かっているようでわかっていませんでした。
あらためて、死という現実を感じ自分がなにをすべきか、どういった人生を送るべきかをあらためて考えさせられました。
普段は死を意識することなどありませんが、100%確実にいつかは訪れる現実があります。避けては通りない道です。
父の死を目の当たりにし後悔、悔いのない人生を送りたいと強く決意しました。
限られた時間をどう生きるかを考え、仕事やお金に囚われない人生を送るために不動産投資を続けたいと思います。 |
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